峨岳山 長福寺について
【宗 旨】浄土真宗
【宗 派】真宗大谷派
【名 称】峨岳山(ががくざん) 長福寺
※山号:峨岳山(ががくざん)
親鸞聖人の『本願寺聖人伝絵(御伝鈔)(御一代記)』に「東方に峨々たる岳山あり」(真宗聖典 七二五頁)という一節があり、それに因んだと考えられる。
【本 尊】阿弥陀如来 立像(南無阿弥陀仏)
【長福寺 略史】
〇大永二年(1521年頃)
信濃水内郡(現在須坂市)に「実玄」なる僧が草庵を建てて住む、当山はこの「実玄」を開基とする。
〇寛永二年(1625年)
柏崎、古志(郡)宮本堀之内を経て、僧玄栄により、宮本東方稲場へ移り、「長福寺」の号を得る。
〇享保二年(1717年)
〇安永三年(1774年)
現山門が、僧現信により建立。本堂の西方前方に建つ正六足門。屋根は切妻造,銅板葺で,軒は二軒繁垂木。堂々とした構えをとる。棟札から年代があきらかで彫物や絵様にも見るべきものがあり、その文化財的価値は高く評価されている。
〇安政二年(1855年)八月
現御御堂(本堂)が、僧恵暢により再建される。近郷一の大伽藍として、今日に残る。正面、向拝の四本柱・彫刻を始め、幕末期真宗本堂の代表的な建築物といえる。大工棟梁は、高木甚兵衛元綱の作(五反田)とされる。
〇明治七年(1874年)一月
宮本小学校が、校舎完成までの1年10か月、長福寺を借りて開校する。※明治八年(1875年)十月に宮本小学校校舎完成。現在の地に移る。
〇平成十八年十一月二十九日
長福寺本堂一棟、並びに山門一棟が、国指定登録有形文化財に登録される。
◯平成二十八年十二月